静岡県と東海道との関係

現在の静岡県にあたる地域は、江戸時代の時点で東側の駿河国・西側の遠江国に分かれていました。さらに、駿河国の中でも静岡藩・駿府藩・沼津藩など、遠江国でも浜松藩・掛川藩などが存在していました。そして、明治4年の廃藩置県によって駿河国は静岡県、遠江国は浜松県となります。その後、明治9年に静岡県が浜松県と足柄県の一部(伊豆半島部分)を編入したという歴史があります。

そんな静岡県は戦国時代に今川義元という武将が活躍していましたが、全国の中で言えばそれほど発達が進んでいた地域とは言えませんでした。では、静岡に当たる地域がどの時代において飛躍的に発達したのかというと、それは江戸時代です。この時代における日本の首都にあたる地域は京都です。一方、政治の中心は江戸(のちの東京)にありました。その2地域を結ぶ重要な道として江戸時代初期に整備されたのが東海道です。

江戸時代において参勤交代の大名や商人・旅人などが毎日盛んに東海道を行き交い、江戸時代初期に整備された5街道の中でも特に交通量の多い街道となりました。そして、 駿河国エリアの沼津宿・府中宿・藤枝宿、遠江国エリアの掛川宿・袋井宿・浜松宿をはじめとした20以上の宿場は年々発展していきます。

江戸時代が終わりを告げて各宿場は廃止されましたが、明治時代に入ると主に東海道沿いを走る鉄道が開通し、各宿場付近には電車の駅ができます。それにより、旧宿場エリアは衰退する事なく明治時代以降も発展を続け、静岡市・浜松市をはじめとする大都市が誕生しました。そういった意味で、東海道は静岡県の繁栄の礎になった存在と言えます。